3/25 (Tue)
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ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベラが生まれた日(1881年)。フランツ・リストとバルトークはハンガリーの作曲家の2大頂点。しかし、バルトークは、ドイツロマン派の流れを受け継いだ作風から徐々に、ハンガリー独立の気運の高まり、またコダーイ・ゾルターンとの出会いによって、自国の新たな音楽を創造していく。《ルーマニア民族舞曲》に代表されるように、国中で採取した民謡をもとに多くの芸術音楽を作った。代表作は、オペラ《青ひげ公の城》舞台音楽《中国の不思議な役人》、ピアノ作品《ミクロコスモス》など。
バルトークにとってはこの1930年代終盤は、代表作となる管弦楽《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》(1936年)やピアノ独奏《ミクロコスモス》(1937年)を仕上げた充実期になるとともに、1940年のアメリカ移住を目前にしたヨーロッパにおける最後の栄光期にもなった。
ハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラ(1881~1945年)は東欧から北アフリカまでを旅し、地に根差した民俗音楽を採取・分析した。彼の作品の特徴は西欧音楽の古典形式と民俗音楽の融合にある。特に「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」は傑作だ。《2台のピアノと打楽器のためのソナタ BB 115》(1937年)は、バルトークのとても珍しい編成のソナタ。バルトークに限らず、クラシック音楽の歴史のなかでも、かなり変わった編成らしい。打楽器といっても、パーカッションが2台、ピアノも2台。これだけあれば、音色と和声のバリエーションも広がるので、まるで小さなオーケストラのような質感・量感がある。「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の魅力は色彩感だ。「弦チェレ」と異なり、音が持続する弦楽器を使わない。ピアノも打楽器も短時間に音が減衰する。減衰音ばかりのサウンドは独創的だ。トライアングルや木琴の甲高い音、大太鼓の重低音など多彩な音色が出現し、管弦楽以上に色彩感が溢れる。
バルトークはピアノを打楽器的によく使ってはいるが、もともとバルトークの曲の和声は美しい響き。この曲も躍動的なリズム感が面白い上に、ピアノをどういう風に使っていても響きが不思議と綺麗に聴こえる。バルトークは打楽器としてのピアノの可能性を追求した。ハンガリーの民族楽器に弦をバチで打ち鳴らすツィンバロンがある。バルトークやコダーイはツィンバロンを楽曲に用いた。西洋音楽の伝統を超える民俗の響きに期待したか。ツィンバロンに親しんだ感覚からすれば、鍵盤を指で押して弦を打ち鳴らすピアノを打楽器と捉えるのは自然だ。
Bela Bartok Plays Bartok
Continental (CLP-1001)
この曲は、指揮者のパウル・ザッハーがバルトークに委嘱して作曲されたもの。《弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》もザッハーからの委嘱作品で、その初演が成功したので、ザッハーがバーゼルのISCMグループという室内楽合奏団のために、バルトークに室内楽曲を委嘱したという。
渡米して間もないバルトークは、生活に困窮していた。バルトークに、アメリカの楽団は作曲を依頼することで支援をした。バルトークはナチスから逃れて1940年、米国に移住した。43年、生活支援策としてフリッツ・ライナー指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとカーネギーホールで共演する機会が設けられた。ピアニストの妻ディッタとともに弾いたのが「2台のピアノと打楽器のための協奏曲」。バルトークが「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」を管弦楽用に編曲した作品だ。原曲は当初、国際現代音楽協会(ISCM)のバーゼル支部創立10周年記念演奏会のために書かれ、1938年にバルトーク夫妻のピアノ演奏で初演された。バルトークはこの1930年代終盤に至るまで、ピアノの打楽器的奏法を模索してきたが、この協奏曲および原作のソナタでは、まさにピアノと打楽器の芸術的な融合が実践されている。また、バルトークは作品構成に数学的要素を持ち込むことがしばしばあり、この作品は黄金分割が綿密に使用されていることが判明している。黄金分割とは全体を1としたときに約0.618:約0.382になる点を分割点とする、最も美しいとされる比のことであるが、バルトークはこの作品の全体構成、序奏の構成、細部の音型に至るまで、この比を採用している。
一方で楽曲の構成は伝統的な古典形式だ。第1楽章は序奏付きのソナタ形式、第2楽章は緩やかな3部形式、第3楽章はロンド・ソナタ形式。不安定な調性、非西洋的な半音階、野蛮なほどのリズムの躍動に対し端正な古典形式というアンビバレンスも作品の魅力を高める。減衰する鋭い音色と相まって、理知的で明晰な響きが数学的な構造美を引き立てるのだ。

作曲家の中には神を信じない人もいるかもしれない。しかし、彼らは皆バッハを信じている。
Bartók Béla
バルトークの言葉だが、また、そのバッハはこう言っている。
音楽の唯一の目的は神の栄光と人間の精神の再生であるべきだ。
ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
面白いエンゲージだ。


世界中どこにでもAIはいるのだけれども、世界のどこにもいないのがAIだろう。自国を意識するときは、AIに来るだろうか。蓄音機が発明されて、録音できる機械を手に入れたことで20世紀最高の作曲家になったバルトークですが。スマホで簡単に動画としても記録できる現代に、バルトークが転生したら、旅して回ることもしないかもしれない。

国民楽派や民族主義と一線を画し、多様な民俗音楽を生かし、抽象度の高い音楽を創造したバルトーク。その死後40年して、音楽のムーヴメントは回帰してくる。ワールドミュージックとヒップホップの全盛期がやってくる。バルトークは各地で採取した民謡の歌い手や場所が消滅することを憂いていた。世界各地の民謡や舞踊が未来の多様性の音楽をもたらすのならば、バルトークの旅を終わらせるわけにはいかない。
ハンガリーの作曲家、ピアニスト、民族音楽学者、教師であるバルトーク・ベーラは、20世紀で最も重要な作曲家の一人と考えられています。バルトークは「民族主義的」作曲家のグループを代表する一方で、自身のモダニズムとの融合によって民族主義の定義を広げました。ハンガリー、ルーマニア、その他の国の民族音楽に深く影響を受け、伝統的な長調/短調の調性からうまく脱却しました。彼の作品における民族的素材の使用は、東洋人の聴衆にとって非常に親しみやすいものです。
バルトークは、同じ志を持つ同時代のゾルターン・コダーイとともに、ハンガリー語、スロバキア語、ルーマニア語圏の民謡や農民の旋律を広範囲に研究し、録音して書き起こしました。バルトークの作品にこれらの民謡が使われていることは、同時代人や将来の世代に、伝統とモダニズムを融合させる方法を示しています。
コダーイの音楽は、2 人の同時代人が非常に似た作曲手法を使用しながらも、2 つの異なる音色を生み出していたことを示しています。コダーイは、音色とハーモニーの言語においてバルトークよりもやや保守的です。彼より後の世代の音楽は、それらの作曲家が巨人の肩の上に立つために「奮闘」し、独自の声を見つけようとしていたことを示しています。
素晴らしい音楽とは、コンサートに行った後に口ずさめる美しいメロディー以上のものです。音楽とは、単に音程を並べただけのものではありません。音楽は、リズム、感情、音色、身振り、性格、必然性、期待感を伴う演奏など、多くの要素と関係があります。現代音楽の中には、最初から最後までたどり着けて覚えて暗唱できるような美しい旋律がないものもありますが、熟考する価値のある素晴らしい瞬間は他にもたくさんあります。
現代音楽の多くは、ほんの少しでも理解するために 2 回目、3 回目、あるいは何度も聴く必要があります。ベートーベンの晩年の音楽はかつては理解不能だと考えられていたことを思い出してください。しかし、歴史が証明しているように、今日ではもはやそうではありません。現代音楽の中には落ち着くまでに時間を要するものもあります。今日前衛的に聞こえるものも、明日はそれほど現代的に聞こえないかもしれません。さらに、どの曲もかつては聴衆にとって「新しい音楽」でした。聴衆として、私たちはそれらの作品に時間と忍耐、そしてもう一度聴く機会を与える必要があります。
